校史等

渋沢栄一と下商

本校の校長室には、明治から大正にかけて活躍した稀代の実業家で、設立や運営など、その生涯に関わった企業は500以上にのぼり、「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一の揮毫(きごう)による扁額(へんがく)が掲げられています。
また、本校校誌「千畳原」の前身である「校友会誌」第49号(大正3年10月発行)には、大正3年(1914年)6月、渋沢栄一は、中国を視察した帰途、当時の斎藤軍八郎校長(第8代)の依頼により、本校講堂で生徒に講演をされたという記録が残っています。

渋沢栄一と下商の縁に思う「温故知新」(第35代 久保田校長「下商新聞」寄稿文より)
<内容:渋沢栄一の生涯、校長室の扁額、下商での講演 等>

渋沢栄一翁揮毫による扁額について(第12代 上田校長「千畳原史話」寄稿文より)
<内容:扁額が本校にもたらされた由来 等>

なお、本校校誌である「校友会誌」及び「千畳原」等に残された記録によりますと、渋沢翁以外にも、明治維新期に政財界等で活躍された著名な方々が本校に視察・講話に来校されています。
・森 有礼(初代文部大臣)、明治20年2月
・山縣有朋(内閣総理大臣)、明治35年3月
・伊藤博文(初代内閣総理大臣)、明治40年12月
・小松原英太郎(文部大臣)、明治42年12月
・常陸山谷右エ門(第19代横綱)、明治43年10月
・北里柴三郎(日本細菌学の父)、明治44年5月
・白瀬 矗(南極探検家)、大正2年4月
・大隈重信(内閣総理大臣)、大正2年10月
・渋沢栄一(日本資本主義の父)、大正3年6月    ※氏名(主な経歴)、来校等年月

「下商物語」

「下商物語」は、本校商業科教諭の林俊行先生による下商新聞への連載記事です。平成19年10月18日に第1号となる「学校創立について」を寄稿されて以来、令和3年1月号「下商新聞400号を祝して」をもって、実に55回の撰述を重ねる大作です。
下商の歴史がよくわかる記事ですので、ぜひご覧ください。
※令和4年3月1日号(その59)をもって、連載は終了いたしました。

   

【下商物語】
表紙等
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10
その11 その12 その13 その14 その15 その16 その17 その18 その19 その20
その21 その22 その23 その24 その25 その26 その27 その28 その29 その30
その31 その32 その33 その34 その35 その36 その37 その38 その39 その40
その41 その42 その43 その44 その45 その46 その47 その48 その49 その50
その51 その52 その53 その54 その55  その56 その57 その58 その59

 

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